透かしの“抜けている部分”が気になって仕方なかった話

最初に透かし鐔を見たとき、
少し違和感がありました。

綺麗なのはわかる。

でもそれ以上に、
「なんでこれが成立しているんだろう」と思ったんです。

刀装具の中でも、鐔はよく手に取るもののひとつです。

その中で、ふと目に入ったのが透かしの鐔でした。

穴があるはずなのに、
なぜかその部分に視線が引っ張られる。

しばらく、じっと見てしまいました。

私が最初に手にした透かし鐔は、
梅と桜の意匠があるものでした。

花弁の形が少しずつ違っていて、
その違いで梅と桜が見分けられる。

そんな細かさにも驚いたのですが、

それ以上に気になったのは、
その“抜けている部分”でした。

鉄でできているはずなのに、
なぜか軽く見える。

空気をまとっているような感覚がありました。

————

透かしは、言ってしまえば“穴”です。

でも、その抜けている部分によって、
かえって形が浮かび上がる。

何もないはずなのに、
そこに意識が向く。

この感覚が、少し不思議でした。

そこから、見え方が少し変わりました。

形そのものではなく、
その周りの空間。

どう抜かれているのか。

どこが残されているのか。

そんなところばかり気になるようになっていきました。

———

透かし鐔には、いろいろな図案があります。

でも、見ていると、
ただ模様を見ているというより、
その中に“流れ”のようなものを感じることがあります。

線のつながりや、配置のバランス。

気づくと、そこからひとつの情景を想像していることもありました。

今でも、透かし鐔を見ると、
ついその“抜けている部分”を目で追ってしまいます。

何もないはずなのに、
なぜかそこに意識が向く。

この感覚が、まだうまく言葉にできません。

でも、たぶんこれも、
少しずつ見え方が変わってきているということなんだと思います。

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