鐔(つば)に施された“透かし”という技法には、光と影が織りなす美しさがあります。
刀を握る人の手元にありながら、見る者の目を奪うほどの繊細な意匠──それが透かし鐔の魅力です。
今回は、私が思わず見入ってしまった透かし鐔との出会いと、その意匠に感じた美しさについて綴ってみたいと思います。
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もくじ
最初に惹かれた“透かし”
刀装具の中でも、「鐔(つば)」はとても不思議な存在です。
刀を持ちやすくするための実用的な部品であると同時に、美しく意匠を凝らした装飾品としての一面もある──その二面性が面白く、私自身もよく鐔を手に取って眺めています。
中でも心を奪われたのが、「透かし彫り」の鐔でした。
初めて透かし鐔を見たとき、単純に「美しい」と思ったのです。
金属という硬質な素材に、こんなにも繊細で軽やかな表現ができるのかと、しばらく目が離せませんでした。

彫るのではなく、抜くという美
私が初めて買った透かし鐔は、梅と桜の意匠があるものでした。
5枚の花弁のみが抜かれた意匠が何箇所かに配置されていて、花弁の形の違いで梅と桜を見分けることが出来ます。
鉄でできているはずなのに、空気をまとったような軽やかさがある──そのことに驚き、感動しました。
「透かし」は、形としては“穴”なのですが、その“抜かれた部分”によって逆に文様が浮かび上がるという逆説的な美しさがあります。
そして、その“空間”があるからこそ、図案が生きる。
「何を彫るか」ではなく、「何を抜くか」で構成される意匠というのは、刀装具の中でも透かし鐔ならではの魅力だと思います。
実用の中に込められた美
透かし鐔には、さまざまな図案があります。
家紋や動物、花鳥風月、さらには吉祥文様や故事にちなんだものまで。
それらは、透かしの中に意味が込められているだけでなく、実際の使用時に「軽量化」や「強度の分散」といった実用面でも機能していました。
それでも、機能性だけではないと感じるのは、やはりそこに精神的な意味や美意識が込められているからでしょう。
ただの“抜き”ではなく、“意味のある抜き”である。
そうした視点で透かし鐔を眺めると、そこには金工師の構成力や想像力が、静かに語りかけてくるように思います。
鐔に描かれた小さな物語
透かし鐔には、「読む」楽しさがあります。
見た瞬間に、そこに描かれた透かしからひとつの小さな物語を想像してしまうことがあるのです。
まるで絵巻物の一場面を、鐔という限られた空間に閉じ込めたような──。
その構図力こそ、透かし鐔の奥深さのひとつではないでしょうか。
空白を感じるということ
透かし鐔は、持っていると“鑑賞の幅”が広がる不思議な存在です。
意匠を見て楽しむだけでなく、その構成や空間の取り方から、作り手の目線や美意識まで想像が膨らんでいきます。
そういった思考の深まりが、「ただの道具」から「文化の担い手」へと、鐔の存在を変えて見せてくれるのだと思います。
私にとって透かし鐔は、「空白を感じる力」を育ててくれるものでもあります。
これからも、その小さな世界を通して、静かな文化の気配に耳をすませていけたらと思っています。

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