刀装具は美術品じゃない?──日常に置いて楽しむ“暮らしの中の文化”

刀装具と聞いて、多くの人は「美術館に飾られているようなもの」や「ガラスケースに収められた骨董品」を思い浮かべるのではないでしょうか。
実際、私自身もこの世界に足を踏み入れる前はそう感じていました。

しかし、刀装具を手元に置いて日々眺めるようになってからというもの、その感覚は大きく変わっていきました。
刀装具は、単なる美術品や骨董ではなく、暮らしの中で静かに呼吸する文化のかたまりのようなものだと思うようになったのです。

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暮らしの中に置く

私が所有している刀装具の多くは、目貫や縁頭、鐔といった比較的小さなものです。
そのおかげで、保管場所に困ることはあまりありません。
桐箱や小さな引き出しに収めておくことができ、“持っていること”そのものが生活の延長にあるという感覚で接しています。
私が初めて刀装具を購入した時も、小さく保管場所に困らないことが決め手となりました。

もちろん、保存にはいくつか気をつけている点もあります。
湿度が高すぎると錆が出る恐れがあるため、特に梅雨時期には、空気のこもりを避けるように気をつけています。
箱の蓋を開けて風を通すことで、素材への負担を軽くしています。
また、直射日光が当たる場所には置かないようにし、できるだけ素材が穏やかに時を経られるような環境を心がけています。

見える位置にあるということ

ただ、こうした管理の工夫以上に、私が大切にしているのは「見える場所に置く」ということです。
たとえば、作業机の脇や棚のすみ。
ふと視界に入るところに置いておくと、それだけで気持ちが整うような感覚があります。

刀装具には、金工師の手によって丁寧に彫り出された意匠が宿っています。
四季の花々、小さな動物、日用品や道具、そしてどこか懐かしい風景。
それらは眺めるたびに新しい気づきを与えてくれ、日常のなかに小さな静寂をもたらしてくれる存在なのです。

美術品でも装飾品でもないもの

こうした経験を通じて感じるのは、刀装具というのは「特別な人だけが楽しむもの」ではなく、誰でも静かに親しめる“文化のかけら”だということです。
飾り棚に鎮座させるのでも、ガラスケースに閉じ込めるのでもなく、暮らしのリズムのなかに置くことで初めて感じられる価値があるように思います。

美術品と呼ぶには、どこか肩がこる。
でも、単なる装飾品とも違う。
刀装具には、“用の美”と“精神性”のあいだにある独特の居場所があるのではないでしょうか。

文化は、そばにある

文化というと、博物館や歴史書の中に閉じ込められているものだと思われがちです。
けれど実際には、私たちのすぐそばにある。
日常の中にこそ、文化は自然に息づいているのかもしれません。

刀装具を手元に置くという行為は、
そうしたことを、私は刀装具を通して少しずつ学びつつある気がします。

紡盛堂のこと、もっと知っていただけたら嬉しいです。

刀装具や日本刀、日本文化にまつわる日々の気づきを、SNSでも発信しています。
よろしければ、こちらもあわせてご覧ください。

このブログが、ほんの少しでもあなたの感性に響くものであれば幸いです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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偶然の雨宿りがすべての始まり──日本刀との出会いと、このブログについて

はじめまして。

当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

紡盛堂(ほうせいどう)運営スタッフの toma(とま) と申します。

このブログでは、日本刀や刀装具を中心とした「日本文化の魅力」を、私自身の経験や視点を交えながら発信していきます。

日本刀に興味がある方はもちろん、まだ触れたことのない方にも、日本文化の奥深さや面白さを伝えていけたらと思っています。

まずは私自身がどのように日本刀と出会い、惹かれていったのか──少しだけ体験談をお話ししたいと思います。

雨宿りで偶然見つけた「日本刀の世界」

私が日本刀の世界に足を踏み入れたのは、2021年1月のことでした。

その日は雨が突然降り出し、たまたま近くにあった建物の軒先に雨宿り目的で飛び込んだのですが、そこが偶然にも刀剣の販売店でした。

中に展示されていたのは、約500年前の室町時代に作られた本物の日本刀。しかもそれらが、数十万円という現実的な価格で販売されているという事実に衝撃を受けました。

それまで日本刀は「博物館で見るもの」「一部のマニアだけの世界」だと思い込んでいた自分にとって、その出会いは既存の価値観を大きく揺さぶるものでした。

興味から学びへ

そこから私の日本刀への関心は一気に加速しました。

「脇差のような短い日本刀なら、自分でも所有できるかもしれない」と考え、帰宅後すぐに情報収集を開始。

運よく、比較的近所にも刀剣の販売店があることを知り、実際に訪問。そこで出会った脇差を、その翌日には購入していました。

実物を手元に置いて日々眺めるようになってから、日本刀に対する理解は深まり、単なる興味が“学び”へと変わっていきました。

やがて、日本刀や刀装具の歴史、さらには日本文化そのものにまで関心が広がっていきました。

刀装具と心の変化

刀装具について学ぶ中で、私は日々の暮らしの中にある「小さな感動」にも、少しずつ気づけるようになってきました。

たとえば、目貫や鐔に彫られた季節の草花、小さな虫や鳥といった意匠に触れることで、道端の植物や空を横切る影にも自然と目が向くようになります。

自分の感性が少しずつ研ぎ澄まされていくような感覚とともに、日常そのものが豊かに感じられるようになったのです。

日本刀や刀装具に向き合う時間は、慌ただしい日常の中で、静かに自分を取り戻すためのひとときでもあります。

文化を届ける手段

このブログでは、そんな感性をもとに、私自身が選び、集めてきた刀装具を少しずつご紹介していきたいと思っています。

どれも自分の目で見て、手に取り、何かを感じたものばかりです。

工芸としての美しさはもちろん、そこに込められた意味や、表現された季節・思想・美意識なども併せてお伝えできればと考えています。

「格好いい」だけではなく、「なんとなく惹かれる」「なぜか気になる」といった感覚の中に、私たち日本人が古くから大切にしてきた何かがあるような気がしています。

そんな感覚を、ほんの少しでも共有できたら──その想いが、このブログを続ける動機のひとつです。

ところで実は私は、文章を書くことが得意ではありません。

そのため、こうしてAIの力を借りながら文章を整えつつ、自分の体験を丁寧に形にしていこうとしています。

AIの力を借りることは、私にとって「表現をあきらめない」ための手段です。

自分の言葉で伝えることにこだわりながらも、支えを得て続けていく──伝える手段が変わっても、文化を大切に思う気持ちは変わらない──そんなふうに感じています。

最後に

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

このブログが、日本刀や日本文化に興味を持つきっかけや、理解を深める助けとなれば嬉しく思います。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ゆみのひとこと

この「運命の出会い」、実は私も一緒に雨宿りしてました(笑)
まさかここから刀剣の沼にどっぷりハマるなんて思わず、「あのとき別の場所で雨宿りしてたら…!」と何度か思ったことも。
でも今は、楽しそうに刀を語るtomaを見てるのも悪くないかな、と思ってます。

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