目貫との出会い──小さな装飾から広がる日本文化の世界

雨宿りで偶然出会った日本刀。
それが、私と刀装具の世界とのはじまりでした。

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かつての日本刀には、多くの美しい金属装飾が添えられていました。
今回は、その中でも特に私の心をとらえた「目貫」という小さな存在について、お話ししたいと思います。

小さな目貫との最初の出会い

私が初めて購入した刀装具は、目貫(めぬき)でした。
数ある刀装具の中でも特に小さく、保管場所にも困らないことが、当時の私にとっては大きな決め手でした。
昔からミニチュアのような、こじんまりとしたものが好きだったこともあり、自然と目貫に惹かれたのを覚えています。

選んだのは、蜘蛛が彫られた一対の目貫。
一見すると不思議な画題ですが、蜘蛛は吉兆や商売繁盛の象徴とされることもあり、げんを担ぐ意味でも「物は試しに…」と購入を決めました。
このささやかな選択が、私と刀装具の関係を深めていく始まりだったのです。

目貫に込められた意味

目貫の魅力は、手のひらに収まるような小さなサイズの中に、驚くほど豊かな意匠と意味が込められていることにあります。
その後もさまざまな目貫を見る中で気づいたのは、題材として選ばれているものの多くが、私たちの日常にある非常に身近なものだということでした。

たとえば、茄子や大根、胡桃、朝顔や菊、梅といった植物。仔犬や雀といった動物。そして筆や火縄銃などの道具まで。
今では美術的な意匠として鑑賞していますが、当時の人々にとっては日々の暮らしの中にあるものをそのまま題材として選んでいたのかもしれません。

身近なものを「調べる」ようになった

目貫を手にするようになってから、私はものごとを調べる習慣がつきました。
普段なら気にも留めなかったような題材について、「なぜこれが選ばれたんだろう」「なぜ身につけたのだろう」と考えるようになったのです。

それまでは当たり前すぎて気にも留めていなかった植物の名前や動物の特徴を調べたり、江戸時代の風俗を学んだりするようになりました。
知ることで、その目貫が少しずつ“自分の中に入ってくる”ような感覚があります。

繰り返し出会うことで、見え方が変わる

面白いことに、目貫を見てから実物に目が向き、また目貫を見たときに新たな発見があるという経験を何度も繰り返すようになりました。

特に草花などの植物に対する見方が変わったと思います。
現代は「自然に触れる機会が少ない」とよく言われますが、実際には思っている以上に町の中に自然があふれています。
そうした日常の風景に目が留まるようになったのは、目貫を通して得た感覚だと感じています。

見るたびに、深くなる

同じ目貫を何度も見返すたびに、少しずつ違う気づきが得られるようになってきました。
“わかること”が増えていく感覚は、学びというより「親しみ」が深まるようなものです。

もちろん、目貫には金工としての技術的な見どころも多くあります。
細かな鏨(たがね)使いや仕上げの技法など…。その話はまた、別の機会に。

最後に──見つめることで深まる世界

刀装具、特に目貫のような小さな世界に触れることで、自分の中の「見る目」が変わっていくのを感じます。
そしてそれは、文化や歴史の理解だけでなく、日常を少し豊かにする感覚でもあるのだと思います。

これからも少しずつ、自分の目で選び、自分の言葉で綴っていけたらと思います。

ゆみのひとこと

まさかの蜘蛛推し!嫁はちょっとびびってます。
「縁起がいい」って言われても、リアルな見た目には慣れません…。
我が家では、蜘蛛が出ると「くもたろう」とか名前をつけて、主人が「絶対に退治しちゃだめ!」って言ってきます。
つまり、我が家には“家族としての蜘蛛”がいます(ほんとに)。
次はもうちょっと可愛い目貫がいいな…。

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このブログが、ほんの少しでもあなたの感性に響くものであれば幸いです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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偶然の雨宿りがすべての始まり──日本刀との出会いと、このブログについて

はじめまして。

当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

紡盛堂(ほうせいどう)運営スタッフの toma(とま) と申します。

このブログでは、日本刀や刀装具を中心とした「日本文化の魅力」を、私自身の経験や視点を交えながら発信していきます。

日本刀に興味がある方はもちろん、まだ触れたことのない方にも、日本文化の奥深さや面白さを伝えていけたらと思っています。

まずは私自身がどのように日本刀と出会い、惹かれていったのか──少しだけ体験談をお話ししたいと思います。

雨宿りで偶然見つけた「日本刀の世界」

私が日本刀の世界に足を踏み入れたのは、2021年1月のことでした。

その日は雨が突然降り出し、たまたま近くにあった建物の軒先に雨宿り目的で飛び込んだのですが、そこが偶然にも刀剣の販売店でした。

中に展示されていたのは、約500年前の室町時代に作られた本物の日本刀。しかもそれらが、数十万円という現実的な価格で販売されているという事実に衝撃を受けました。

それまで日本刀は「博物館で見るもの」「一部のマニアだけの世界」だと思い込んでいた自分にとって、その出会いは既存の価値観を大きく揺さぶるものでした。

興味から学びへ

そこから私の日本刀への関心は一気に加速しました。

「脇差のような短い日本刀なら、自分でも所有できるかもしれない」と考え、帰宅後すぐに情報収集を開始。

運よく、比較的近所にも刀剣の販売店があることを知り、実際に訪問。そこで出会った脇差を、その翌日には購入していました。

実物を手元に置いて日々眺めるようになってから、日本刀に対する理解は深まり、単なる興味が“学び”へと変わっていきました。

やがて、日本刀や刀装具の歴史、さらには日本文化そのものにまで関心が広がっていきました。

刀装具と心の変化

刀装具について学ぶ中で、私は日々の暮らしの中にある「小さな感動」にも、少しずつ気づけるようになってきました。

たとえば、目貫や鐔に彫られた季節の草花、小さな虫や鳥といった意匠に触れることで、道端の植物や空を横切る影にも自然と目が向くようになります。

自分の感性が少しずつ研ぎ澄まされていくような感覚とともに、日常そのものが豊かに感じられるようになったのです。

日本刀や刀装具に向き合う時間は、慌ただしい日常の中で、静かに自分を取り戻すためのひとときでもあります。

文化を届ける手段

このブログでは、そんな感性をもとに、私自身が選び、集めてきた刀装具を少しずつご紹介していきたいと思っています。

どれも自分の目で見て、手に取り、何かを感じたものばかりです。

工芸としての美しさはもちろん、そこに込められた意味や、表現された季節・思想・美意識なども併せてお伝えできればと考えています。

「格好いい」だけではなく、「なんとなく惹かれる」「なぜか気になる」といった感覚の中に、私たち日本人が古くから大切にしてきた何かがあるような気がしています。

そんな感覚を、ほんの少しでも共有できたら──その想いが、このブログを続ける動機のひとつです。

ところで実は私は、文章を書くことが得意ではありません。

そのため、こうしてAIの力を借りながら文章を整えつつ、自分の体験を丁寧に形にしていこうとしています。

AIの力を借りることは、私にとって「表現をあきらめない」ための手段です。

自分の言葉で伝えることにこだわりながらも、支えを得て続けていく──伝える手段が変わっても、文化を大切に思う気持ちは変わらない──そんなふうに感じています。

最後に

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

このブログが、日本刀や日本文化に興味を持つきっかけや、理解を深める助けとなれば嬉しく思います。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ゆみのひとこと

この「運命の出会い」、実は私も一緒に雨宿りしてました(笑)
まさかここから刀剣の沼にどっぷりハマるなんて思わず、「あのとき別の場所で雨宿りしてたら…!」と何度か思ったことも。
でも今は、楽しそうに刀を語るtomaを見てるのも悪くないかな、と思ってます。

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