日本刀を“知る”より、“感じる”ことから始めよう

今年で、日本刀に出会って4年ほどになります。
最初は知識などまったくないまま、ただ「かっこいい」「なんとなく好き」という感覚だけで脇差を選びました。
今回は、そんな“直感”から始める日本刀との関係について、少しお話ししてみたいと思います。

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日本刀って難しそう?

「日本刀に興味はあるけれど、難しそうで…」
そんな声をよく聞きます。たしかに、日本刀の世界には専門用語や時代背景、刀匠の流派など、知れば知るほど奥深い情報が詰まっています。
でも私は、日本刀を知ることよりも、まずは“感じる”ことから始めていいと思っています。

たとえば美術館で見たとき、写真で目にしたとき、何か惹かれるものがあった──それで十分。
そこには、言葉にできないけれど確かに存在する「好き」の感覚があるはずです。

感じたままに選ぶ

私自身が初めて脇差を購入したときも、そうでした。
何かに導かれるように目が止まり、「あ、いいな」と思った。
 
刃文が乱刃(みだれば)なのがかっこいい… くらいのふわっとした感覚で選んでいました。
さらに言えば、その脇差が作られたとされる地域の名前が、私の故郷と同じ名前だったという、これまたかなりふんわりとした理由でした。

刀に限らずですが、知識がないと価値がわからない、という感覚はときに人を遠ざけてしまいます。
けれど、最初の一歩はもっと自由でいい。
「なんとなく好き」「惹かれる気がする」──そんな直感は、案外まちがっていません。
むしろ、その感覚があるからこそ、後から知識や歴史を知ったときに、いっそう深く魅力を感じられるのだと思います。

知識はあとからで大丈夫

日本刀には、形や刃文(はもん)、茎(なかご)の錆び方まで、細かく見るべきポイントがあります。
でも、そうした知識は、後からゆっくりついてくるものです。

最初は「この形が好き」「この光り方がかっこいい」「このサイズ感がいい」──そうした感性の引っかかりを大切にしてほしい。
人によって、刀に感じる美しさや魅力はまったく違います。
だからこそ、正解もないし、比較もいらない。

「自分にとってどう感じるか」から始まるのが、日本刀との自然な出会い方なのだと思います。

言葉にならない魅力

私がこれまで見てきた刀のなかにも、「この刀には何かがある」と感じたものがいくつもあります。
それが何なのかは、うまく言葉にできないこともあります。
でも、眺めているうちに静かに心が整うような、そんな感覚が確かにあるのです。

日本刀は、美術品や骨董として見ることもできます。
けれどそれ以上に、見る人の内面と響き合う不思議な存在なのかもしれません。

守るより、親しむ

「文化を守る」という言葉があります。
けれど私としては、もっと自然に、もっと自由に、日本文化と付き合っていけたらと思っています。

守らなければいけないと思うと、距離ができてしまう。
でも、まずは自分の感性で「いいな」と思うところから始めてみるのはどうでしょうか?
文化は急に近くなる気がするのです。

一歩目は自由でいい

日本刀は知識のある人だけのものではありません
遠くから見ているだけでも、写真で見るだけでも、それがきっかけになることもあります。

まずは感じること。そこからすべてが始まります。

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最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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