古来より、日本人は自然の中に“かたち”を見出し、その姿に意味や物語を重ねてきました。
刀装具においても、猪はしばしば画題として登場する動物のひとつです。
その力強さ、荒々しさ、そしてまっすぐに突き進む姿は、戦(いくさ)の時代を生きた武士たちにとって、畏れと敬意を込めて描かれる存在でした。
猪という動物は、山野を駆け、鋭い牙で敵を威嚇し、時に人をも襲う野性の象徴です。
しかしその一方で、家族を大切にし、我が子を守る姿からは“母性”を感じさせる一面もあります。
こうした相反する性質が、猪を単なる猛獣ではなく、“神聖なもの”として扱わせてきたのかもしれません。
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もくじ
武士にとっての「突進力」
刀装具における猪の図柄には、「猛進」「果敢」「勇気」といった意味が込められることが多いようです。
特に、山を駆け下りる猪や、敵に向かって突進する構図は、戦国時代の武士たちの理想像とも重なります。
敵に屈せず、恐れを知らず、ただ前へと進む──。
猪の持つ直進性は、戦場において勝利をつかむための精神性と重ねられ、刀の鐔や目貫にその姿が刻まれました。
また、「猪突猛進(ちょとつもうしん)」という四字熟語にも見られるように、時には無鉄砲にも見える行動力を、ある種の“美徳”として捉える文化があったことも見逃せません。
猪は、ただの猛獣ではなく「覚悟をもって進むもの」の象徴でもあったのです。
多産と豊穣をもたらす神聖な動物
猪はその力強さだけでなく、「多産」や「豊穣」を象徴する動物としても信仰されてきました。
一度に多くの子を産む性質から、子孫繁栄の願いが重ねられ、また山野の恵みと関わる存在として、農耕の神や山の神に仕える“神使”とも見なされてきたのです。
各地の民間信仰や祭礼の中では、猪が神聖な存在として扱われることもあり、厄除けや守護の力を持つとされる場面もしばしば見られます。
陰陽道では猪が“北西”すなわち「乾(けん)」の方角と結びつき、終わりと始まりの境界に立つ存在としても重んじられていました。
このように、猪の意匠には「守る力」「生む力」「浄める力」といった重層的な意味が込められていたと考えられます。
十二支に見る猪──“終わり”と“始まり”の間に
十二支の中で猪は最後、十二番目に位置づけられます。
そのため「終わりの象徴」として語られることもありますが、同時に「次の周期の始まり」を告げる存在としても扱われます。
猪年は、物事の総決算の年であると同時に、新たなサイクルの準備期間ともいわれています。
そう考えると、猪は「転換期」を司る存在。
まさに“境界”に立ち、古きものを背負いながら、新たな時代へと突き進む存在といえるでしょう。
このような時間的な象徴性を踏まえて、猪を描いた刀装具には「時代の節目を乗り越える力」や「変化への対応力」などの意味が込められていた可能性もあります。

荒ぶるものに宿る静けさ
猪という存在は、見た目には荒々しく、粗野にさえ映ります。
しかし、そうした“荒ぶるもの”の中にこそ、人は「真の力」や「清らかさ」を感じ取ってきました。
例えば、秋の山に分け入り、真っ赤に染まるもみじの中でひときわ黒々とした猪の姿が現れる様子には、自然の厳しさと美しさが交錯しています。
その姿は、どこか「美しいものを壊していく役目」を持つようでもあり、同時に「美しさの一部として存在する」ようにも感じられます。
刀装具においても、猪の意匠はただの迫力だけでなく、自然と生きる命の循環を感じさせる深みをたたえています。
ゆみのひとこと
「突っ走るのって、ちょっとかっこいいかも。猪って、もっとゴツいだけの動物かと思ってたけど、案外スタイリッシュ…?」

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