武士が愛した「茄子」の意匠──縁起物としての意味と日本文化の中の位置づけ

刀装具の意匠には、しばしば驚くほど身近なものが登場します。

その中でも「茄子(なす)」は、一見すると地味に思えるかもしれませんが、実は深い意味が込められた画題です。
日本文化における茄子の象徴性や、武士たちがなぜこの植物を装飾に選んだのか──今回はその背景を探ってみましょう。

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初夢に見ると縁起がいい「茄子」

茄子と聞いて、まず思い浮かぶのが「一富士、二鷹、三茄子」という初夢の言い伝えでしょう。
これは江戸時代から伝わる縁起担ぎで、初夢に見ると幸運が訪れるとされる三つのモチーフです。

富士山は「日本一の山」、鷹は「高く飛ぶ鳥」、茄子は「成す(成功する)」に通じる語呂合わせに由来しています。

また、茄子は実のつき方がよく、「子孫繁栄」や「豊穣」を象徴するとも言われました。
そのような吉兆性の高さから、武士たちが好んで刀装具のモチーフに取り入れたのも納得です。

刀装具に見る茄子の造形美

刀装具に彫られた茄子は、写実的で艶やかなものから、意匠化された簡素なものまで多様です。
多くは赤銅地に金や銀の象嵌を施して仕上げられ、丸みを帯びた実のふくらみや葉の流れが巧みに表現されています。
茄子の曲線は鐔や目貫のような限られた空間に自然に収まり、優美でやわらかな印象を与えるため、構図としても人気でした。

刀装具における植物のモチーフは、単なる装飾にとどまらず、持ち主の願いや人柄を映す「象徴」として選ばれることが多く、茄子の場合も「何事も成す」といった願いが込められていたと考えられます。

茄子はいつから日本に?

茄子は古代インドを原産とし、中国を経由して日本へと伝来したとされています。
『本草和名』や『倭名類聚抄』といった平安時代の文献にはすでに登場しており、当時から栽培されていたことがわかります。

鎌倉〜室町時代には野菜としての地位を確立し、江戸時代には品種改良も進展。
さまざまな茄子が親しまれるようになりました。

特に江戸の町人文化においては、「初物」をありがたがる風習が広まり、茄子もその対象に。
「初茄子」に高値がついた記録もあり、縁起物としてのイメージはこの時代にいっそう強まりました。

武士と「成す」精神

刀装具に茄子を選んだ武士たちは、単なる縁起担ぎ以上の想いを重ねていたかもしれません。
「戦に勝ち、家を守り、名を成す」──

そんな願いを静かに刻み込むことで、自らの覚悟や心意気を形にしたのです。

また、茄子の意匠は過剰な装飾性を持たず、どこか落ち着いた風合いがあります。
目立ちすぎず、それでいて確かな存在感を持つ茄子は、まさに“侍の美意識”に通じるものがあるのではないでしょうか。

現代に受け継がれる茄子の意匠

現在でも茄子の意匠は、根付や帯留め、陶磁器などの工芸品に見ることができます。
縁起物としての意味はもちろんのこと、その形そのものに「ほっとする」ような親しみやすさがあるため、どの時代においても愛されてきたのでしょう。

刀装具としての茄子に出会ったとき、ぜひその小さな形の中に込められた願いや美意識を感じ取ってみてください。
「成す」という言葉の重みが、静かに、しかし力強く伝わってくるはずです。

ゆみのひとこと

茄子って、食卓のイメージが強すぎて、最初は「なんで武士がこんな野菜を?」って驚きました。
でも調べてみると、ちゃんと意味があったんですね。
「成す」に願いを込めるって、ちょっと可愛いなと思いました。