今回はゲームやアニメにも登場している人気の刀、「三日月宗近」と「小狐丸」、そしてそれらを生んだ刀工集団「三条派」について、ゲーム『刀剣乱舞』の視点も交えながらまとめてみたいと思います。
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もくじ
三条派について
三条派は平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した鍛冶集団で、京都を拠点に美麗な刀剣を多数制作しました。
その流れを汲む刀鍛冶たちの作品が「三条派の刀」と呼ばれます。
古刀期に分類される代表的な刀工には、三条派の祖とされる三条宗近がいます。
刀工・三条宗近について
三条宗近は、平安時代中期(10世紀~11世紀初頭)に活躍した、日本刀初期の名工として知られています。
反りの深い優美な姿と、波紋の美しさが際立つ風格のある刀剣が特徴です。
山城国の出身で、三条付近に住んでいたと伝えられています。
※宗近の居宅については、三条の粟田口付近にゆかりの碑が現存しています。
代表作には、天下五剣のひとつ「三日月宗近」や「小狐丸」などがあります。
三日月宗近について
三日月宗近は、その刀身に浮かぶ三日月のような美しい刃文、細身で優雅な反りを持つ名刀です。
その美しさは美術品としても高く評価されており、天下五剣の中でも最上級とされています。
史料の中でも「名物中の名物」として記されており、由緒も極めて豊かです。
かつては13代将軍・足利義輝が所有し、豊臣家の正室・高台寺を経て徳川秀忠に遺贈されたのち、昭和時代に東京国立博物館に寄贈され、国宝に指定されています。
小狐丸について
小狐丸は、三条宗近が鍛えたとされる伝説的な太刀です。
宗近が太刀を鍛える際、稲荷神が小狐に化けて相槌(あいづち)を務めたことから、その名がついたと伝えられています。
謡曲「小鍛冶」や歌舞伎などにもその逸話は登場し、神話的な存在感を持つ刀とされています。
現在、石切劔箭神社(大阪府東大阪市)や石上神宮(奈良県天理市)に伝わる刀がありますが、それが伝説の「小狐丸」と同一かは定かではありません。

小狐丸と謡曲「小鍛冶」
「小鍛冶」は室町時代に成立した能の演目のひとつです。
物語では、夢のお告げを受けた一条天皇の命で、三条宗近に剣を鍛えるよう命じます。
宗近は同等の力を持つ相槌を打つ者がおらず困り果て、氏神の稲荷明神に参詣し助けを求めます。
そこで出会った童子が相槌を務めると約束します。
鍛冶場には稲荷明神の化身の童子が現れ、神剣が完成します。
刀の表には「小鍛冶宗近」、裏には童子=稲荷神が相槌を務めた証として「小狐」の銘が刻まれ、「小狐丸」が完成します。
この伝説は歌舞伎や、ミュージカル刀剣乱舞の楽曲「向かう槌音」などにも取り入れられています。
現代の人気とメディアでの登場
近年、ゲーム『刀剣乱舞』などをきっかけに、刀剣に興味を持つ人が増えてきました。
その中でも三日月宗近と小狐丸の二振りは、特に人気の高い“刀剣男子”として知られています。
ゲーム内だけでなく、2.5次元のミュージカル刀剣乱舞でもこの二振りは物語上の深い関係性が描かれており、多くのファンを惹きつけています。
なお、これらの名刀は常設展示されていないことも多いため、展示情報はこまめにチェックし、実物を見る機会を逃さないようにしたいものです。
刀剣ブームと三日月宗近
三日月宗近は、近年の刀剣ブームの火付け役とも言える存在です。
写真越しでも、その美しさに息を呑むほどで、展示のたびに多くの観覧者が訪れます。
人気が高まったことで展示の機会も増え、これまで非公開だった刀剣が公開されるようになったのは大きな恩恵と言えるでしょう。
とくに女性ファンの増加によって、日本刀の世界が新たな広がりを見せているのは注目すべき現象です。

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