五三桐紋三双図──格式と誇りが刻まれた刀装具

刀装具の世界には、草花や動物といった自然の意匠とともに、家紋や紋章のように格式を帯びた図柄も見られます。
その中でも、五三桐紋三双図(ごさんきりもん・さんそうず)は、桐紋を繰り返し配置した重厚な構成をもち、目貫においても存在感のある意匠のひとつです。

この桐紋には、長い歴史と深い象徴性が秘められています。単なる装飾にとどまらず、持ち主の誇りや思想までを映し出す鏡のような存在だったのかもしれません。

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武家と桐紋の広がり

桐紋は、古くは皇室の紋章として用いられてきました。中でも「五三桐」と呼ばれる型は、三枚の葉の上に三房の花を配した最も格式あるものとされています。

戦国時代には豊臣秀吉がこの桐紋を使用したことで、「天下人の紋」としての意味を帯びるようになりました。
江戸時代に入ると、徳川幕府は自身の象徴である三つ葉葵を厳しく管理した一方で、桐紋の使用については特に制限を設けませんでした。
そのため、桐紋は庶民から大名まで幅広く使用されるようになり、格式ある意匠でありながらも多くの人々の中に溶け込んでいきました。

武士にとって桐紋は、ただの図柄ではなく、自身の身分や志を表現する手段として受け入れられていたと言えるでしょう。

桐という植物が持つ意味

桐は古来、特別な意味をもつ植物として扱われてきました。
その成長の速さや真っ直ぐに伸びる幹から、「出世」や「繁栄」の象徴とされており、また中国の伝説では、鳳凰が桐の木にしか宿らないと語られることから、神聖な木ともみなされています。

日本でも、桐は高貴な存在とされ、かつては女児が生まれると嫁入り道具として桐の箪笥を用意する風習がありました。
軽くて湿気に強く、実用性も兼ね備えたこの木は、機能性と美しさの両面を持ち合わせています。

そのような桐が刀装具の意匠として用いられることは、単なる植物文様の一種を超えた、精神的・文化的な意味合いを帯びていたと考えられます。

三双図の構成と意匠美

「三双図」とは、左右一対の目貫にそれぞれ三組の桐紋が彫られた構成です。
合計六つの桐が対称に配置され、視覚的な安定感と重厚さを生み出しています。

古来より「三」は調和や完成を意味する数とされ、桐紋という格式高い文様との組み合わせは、持ち主の内面にも影響を与えるような、静かな力を備えています。

日常の中に「秩序ある美」を携えるという意味で、この構成は非常に洗練された意匠といえるでしょう。

彫技に込められた職人の精神

五三桐紋三双図の目貫では、金色絵が施された桐の花や葉が、丁寧な鏨使いによって浮かび上がっています。花弁にはわずかな起伏があり、葉の筋や輪郭も繊細に描かれており、小さな装具の中に生命感が宿っています。

このような意匠は、構図そのものが定型化されている分、どのように陰影をつけ、どのように配置するかという解釈に職人の美意識が問われます。
限られた面積の中で、いかに格調を保ちつつ表情を生み出すか。
その挑戦に応えるための熟練の技と構成力が、この目貫には詰まっています。

意匠に込められた誇り

桐紋の目貫を身につけた武士たちは、おそらくその意味をよく知っていたことでしょう。
格式を表す桐紋をあえて選ぶことで、自らの立場や覚悟を静かに表明していたのではないかと思われます。

特別な家に生まれた者だけでなく、自己規律や忠誠心、節度をもって行動しようとする者にとって、桐は理想の象徴だったのかもしれません。
装飾でありながら、それを見るたびに自身を律するための“心の楯”のような存在になっていたとも考えられます。

小さな桐に宿る文化と信念

五三桐紋三双図の目貫は、外見の華やかさや繊細な技術以上に、そこに込められた意味によって特別な存在になっています。

桐という植物がもつ歴史的・象徴的な意味。
そして、その意匠を選び身につけた人々の想い。

その両方が重なり合うことで、この刀装具は「見る」だけでなく「感じる」ことのできるものへと昇華しているのです。

現代に生きる私たちにとっても、このような小さな造形物から、かつての人々の精神性や美意識を知ることができるのは、何より豊かな体験ではないでしょうか。

ゆみのひとこと

桐って、そんなに格式ある紋だったんですね。
でも庶民も使ってたって聞いて、なんだか親しみがわきました。

小さな目貫に、こんな深い意味があるなんて…見た目以上に奥が深いです。

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