支える力の象徴としての牛──刀装具に見る静かな強さ

刀装具の世界では、虎や龍といった勇壮な動物の意匠が目を引きますが、今回ご紹介する目貫はそれとは少し異なる趣を持っています。

向かい合う二疋の牛。
その静かで重厚な構図には、雄々しさよりも穏やかさ、そしてゆるやかな緊張感のようなものが漂っています。

この一対の目貫は、江戸時代の生活文化と深く関わる動物「牛」を題材にしています。 勇ましさよりも、静かなる強さを湛えた表現。
そこに込められた意味を、文化的視点から掘り下げてみたいと思います。

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江戸時代の生活と牛の関係

江戸時代の日本では、牛は主に農耕用や運搬用として飼われていました。
とくに田畑を耕す「耕牛(こうぎゅう)」としての役割は重要で、地域によっては家族の一員のように大切にされていたとも言われています。

一方で、食用としての牛肉は一部の例外を除いて公式には禁じられていたため、牛は“働く存在”としての価値が重視されていたのです。
その姿は、勤勉さ、忠実さ、穏やかさの象徴として、民間の信仰や装飾品にも登場していきます。

また、牛は「天神様」として知られる菅原道真公の使いとされており、学問や知恵、忍耐の象徴としても親しまれていました。
こうした背景が、牛を意匠に選ぶ理由のひとつとなったのかもしれません。

関西と関東における牛との生活文化の違い

さらに視野を広げてみると、関西と関東では牛との関係性に微妙な違いがあったことも興味深い点です。

関西(特に近畿地方)では、仏教や儒教の影響が色濃く、牛を神聖視する文化が強く根付いていました。
牛は農業の労働力としてだけでなく、神仏の使いとして敬われ、食用にすることへの忌避感が長く続いていたのです。
そのため、牛は「守られるべき存在」としての位置づけがなされていた側面があります。

一方、関東(とくに江戸)は急速な都市化とともに物流が発展した地域。
ここでは牛は荷物の運搬や市場の支え手として、より“実務的”な役割を担っていました。

つまり、関西では「信仰と象徴」的な存在、関東では「生活を支える力」として、牛との関係性が築かれていたと言えます。
このような文化的差異が、装飾の画題としての牛の捉え方にも、自然と影響していたのかもしれません。

二疋の牛に託された象徴

この目貫に描かれているのは、躍動感のある構図で向かい合う二疋の牛。
一方は金、一方は黒の赤銅(しゃくどう)で仕上げられており、まるで陰陽を表すような対比が美しく映えます。

表情には激しさはなく、むしろ落ち着いた眼差しと静かな張り詰めた空気が漂っています。
どちらかが優位になるわけでもなく、均衡を保った姿勢──まるで、力と力が向き合いながら調和を探っているかのようです。

この表現には、対立を超えた調和の象徴、あるいは「陰と陽」「動と静」のような二元性の美が込められているのかもしれません。
そのあり方は、武士道における“剛と柔”の精神にも重なります。

なぜ“牛”が選ばれたのか?

武士たちが刀装具に込めた意匠には、それぞれの思想や価値観が反映されています。
「牛」という穏やかな動物を題材に選ぶことは、自らの内にある忍耐力や精神的強さを映すための選択だったのではないか──そんな想像も膨らみます。

また、華やかな動物よりも、地に足のついた存在を好む美意識がそこにあったとも言えるでしょう。
慎ましく、しかし確かに強い。
牛という意匠には、控えめながらも揺るぎない“芯”を感じさせる魅力があります。

小さな造形に見る“大らかさ”

目貫は、柄に巻かれてほとんど見えないほど小さな刀装具です。 そのわずかな空間に、ここまで物語性を感じさせる意匠が込められていることに、私は強く惹かれます。

今回の二疋の牛もまた、静かに、けれど確かに何かを語りかけてくるような存在です。
剛と柔、陰と陽、強さと穏やかさ──そういった相反するものが、絶妙なバランスで共存している。

刀装具とは、ただの装飾ではなく、自らの内面や美意識と静かに向き合うための“鏡”のようなものかもしれません。
この一対の牛に出会ったことで、改めてそんな思いを強くしました。

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