意匠に込められた季節のこころ──秋草と鹿の縁頭

刀装具のなかでも、最初はなかなか意識されにくい部位があります。
「縁頭(ふちがしら)」──鞘の縁(ふち)と柄の頭(かしら)に取り付けられる金具で、あまり目立たない部分かもしれません。
ですが、私にとってはこの縁頭こそ、刀装具の奥深さを感じる入口のひとつでした。

限られた面積の中に凝縮された意匠。
刀全体の装飾の“つなぎ”として機能しながらも、実はとても豊かな表現力を持つ。
そんな縁頭に、私は初めて強く心を動かされたのです。

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はじめて惹かれた縁頭

初めて手にした縁頭は、萩と鹿の意匠が施されたものでした。
地板は真っ黒な赤銅(しゃくどう)で、細かく均等に打ち込まれた魚々子(ななこ)が広がっています。
そこに、2種類の金を巧みに使い分けて象嵌(ぞうがん)された萩の葉が、柔らかく風にそよぐように配されていました。
そして、控えめながらも確かな存在感を放っていたのが、素銅(すあか)で象嵌された一頭の雌鹿。
その表情にはどこか優しさと静けさがあり、私はその雰囲気に強く惹かれました。

詠まれた萩と鹿

万葉集の一首に、次のような歌があります。

吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿
(わがをかに さをしかきなく はつはぎの はなづまどひに きなくさをしか)

この歌は、
「我が岡に牡鹿が来て鳴いている。初萩の花を妻に見立ててやってきて鳴くのだろうか」
という風情ある詠みぶりです。
萩の花のそばに現れた鹿の姿を、求婚の風景に重ねている──そんな柔らかな視点が、刀装具の意匠にも反映されているように思えました。

魚々子と象嵌の調和

縁頭の魅力は、限られた小さな面積に込められた密度の高さにあると思います。
鐔や目貫のような広がりや動きはありませんが、その分、構図や配置、素材の使い分け、地板の仕上げなど、細部への配慮が凝縮されている。

魚々子地と象嵌の調和は、そのひとつの頂点です。
表面全体を彩るような地板の技法が、象嵌の意匠を引き立てる。
この刀装具にも、視線を誘導する構成力があり、ひとつの“静かな世界”が完成していると感じました。

構成の美

ただ、この萩と鹿の縁頭は、そうした“静けさ”だけでは語りきれません。
鮮やかな金色の象嵌や構図の豊かさから受ける印象は、むしろ華やかさや存在感を感じさせるものでした。
小さな面に、ここまでの技術と表現を詰め込むとは──という驚きが、まずありました。

だからこそ私は、この刀装具を「派手だから好き」ではなく、「派手なのに上品」と感じました。
金の使い方や余白の取り方、素材のバランスが見事で、見れば見るほど感心してしまう。
技術と構成力の融合がもたらす、“品のある派手さ”に心を打たれたのだと思います。

刀装具と向き合う日々

縁頭という刀装具を知ってから、私は刀全体を眺めるときの視点が少し変わったように思います。
鐔や目貫だけでなく、柄や鞘との関係性、そのつなぎ方、刀装具同士の色合いや質感のバランス…。
刀装具を“点”ではなく、“線”や“面”として見る感覚が生まれたような気がします。

ほんの小さなパーツひとつが、刀という大きな存在の中で重要な役割を果たしている──
それを感じさせてくれるのが、縁頭という存在なのかもしれません。

私にとって、刀装具との出会いは、単なる収集ではありません。
そこに込められた文化や想い、そして美意識に、少しずつ自分が感応していくプロセスのようなものです。

萩と鹿の縁頭に出会ったことで、「小さな面に宿る大きな世界」に気づくことができました。
これからも、そうした気づきを大切にしながら、刀装具を静かに見つめていきたいと思っています。

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